旧日本海軍艦艇スレ (15/07/08 17:22:55) [ID: e9d28d0c]
15:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/09 0:30:02] ID:fec00e54
14
耳を両手で名一杯押さえて、口開けて、唾を飲み込まないで、目を塞ぐ

これで耳鳴りor音が聞こえなくなる、で済む   うん、怖いね
14:('A`)◆9Q9KAMn8hU [15/07/09 0:27:48] ID:ecb5bd4d
11
艦内でも口開けて耳塞がないと肺割れるってどんだけ
13:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/09 0:20:57] ID:fec00e54
12
訂正
1923年9月1日脳内変換よろ
12:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/09 0:19:52] ID:fec00e54
長門型戦艦一番艦 長門

国の誇り、世界のビックセブン、現存する最後のビックセブン、等がアダ名?である。

長門がビックセブンと言われる由縁は「ワシントン軍縮会議」における、各国主力艦艇(戦艦)の保有数、及び口径の制限が掛かったからである。
「口径は41cm砲に限定(後に他も制限がかかる)」「主力艦艇は日本は8隻、米、英10隻」となった

主砲口径の制限については、長門の建造が、一つの要であった。それは他の国の主力艦艇の最大口径が35.6cmであったからだ

たかが数cmの違いだろ?と思うかもしれないが、単純計算で約1.5倍の威力を有していた。

そして長門、陸奥建造に伴い、日本は米英に対し41cm搭載艦を米に3隻、英に2隻の建造を認める結果となった

長門を語る上で外せないのが2つある。

一つは「1922年9月1日」関東大震災である。これにより関東地方は甚大な被害を受けた、その報せを聞いた長門以下艦隊は、動いた

何の為に?国民の為、救援物資を積み、関東に向かった、そしたら、英国海軍艦艇が近付いて来た、理由は各国に発表した速力と違うからである。

しかし長門以下艦隊はそれを無視し、関東地方に接近、
記録では関東地方に住んでいた人達は、国を守る為に作られた、国の誇りが一国民を守る為に国際情勢を悪化させる様な行動を取ってまで救援に来てくれた、水平線に見うる、大艦隊が見えた時何を思ったであろうか……
11:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/09 0:07:35] ID:fec00e54
大和型小ネタ?

46cm砲が最大、最強と言われても実感が沸かないが、凄さが分かる?話がある。

46cm砲を撃つ場合、乗員は艦内に避難しないといけない、これは何故か?簡単に言うと、46cm砲の爆風で近場なら、人間が吹っ飛ぶ(消し飛ぶ)、鼓膜が破れる、目が潰れる等の原因がある。

実際レイテでは、武蔵の主砲発射の際のブザー(主砲を撃つ前に危険の合図及びそれによる避難の合図)がされなかった為、多数の機銃員が吹っ飛ばされた。
10:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/09 0:00:28] ID:fec00e54
武蔵小ネタ?

とある、米急降下爆撃機パイロットが、主砲塔に向けて、物凄い精密な角度(簡潔に言うと真上)から、急降下爆撃をしたらなんと!!







見事に弾かれた。パイロットは凄く悲しんだであろう。


(え?武蔵野旅館?大和ホテル?知らんカエレ
9:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 23:54:49] ID:e9d28d0c
大和型戦艦二番艦 武蔵

大和の姉妹とし、世界最強の名を冠した大和の後継型艦として建造された。大和と武蔵は同じ46cm砲を搭載し最強に相応しい強さだった

日本海海戦、分かりやすく言うと日露による大規模海戦による、戦いが行われ、これにより世界では「大艦巨砲主義」と言うものが、世界に広まった

では「大艦巨砲主義」とは?これは簡潔に説明すると「大きな艦に巨大な主砲を積む」ことで、それを上回る物を作り続ければ、最強と言うことである

だが、それは第一次世界大戦の話であり、第二次世界大戦では「大艦巨砲主義」より「航空機による航空攻撃」が主体になっていた

どちらの功績も日本がもたらした物であることも、また皮肉であろう

武蔵を語る上で外せないのは、その頑強差であり、米軍にでさえ「アイツは化物」と言わしめた

被撃数は「爆弾10~19」「魚雷「8~20」「ロケット弾10~39」とされ尚米軍の攻撃終了後約8時間もの間海の上を漂い続けた。

戦没海戦は、レイテ沖海戦、今では、武蔵もシブヤン沖で見付かり、大和型戦艦両艦は見つかった事となる。
8:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 18:36:35] ID:e9d28d0c
大和小ネタ?

とある、予備飛行科練習隊の一人が、教官に、「今沖で訓練している艦数を艦種を記して、偵察して来い」と言われ、沖に出て、艦種を記し、教官にこう報告した
「戦艦2、重巡4、その他予備艦艇多数!!」と言ったところ、教官がニヤリと笑い「バカ言え、戦艦は6杯だ、残念だな」と笑いながら言った
長門、陸奥、伊勢、日向が重巡に見える程大和が大きかった

他にも、艦内旅行(艦内部の配置を覚える)等を行うと、行方不明者が出たり、最短記録でも12時間など、大和の大きさを感心する他ない
7:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 18:29:25] ID:e9d28d0c
»2»3»4»5  続き
最終時兵装
九四式45口径46cm三連装砲3基9門
三年式60口径15,5cm三連装砲2基6門
八九式40口径12,7cm連装高角砲12基24門
九六式25mm三連装機銃52基156挺
九六式25mm機銃6基6挺
九六式13mm連装機銃2基4挺
搭載航空機7

機銃砲郡、機銃郡については楯付きも有りその区別がされていないが、楯付きもある、程度での認識で問題はない
そして、菊一号作戦では、未確認ながら、カタパルトに2機、格納庫に7機の計9機の「紫電改」が搭載されていた記録もある。
それも覚えている程度でよろしいかと
次は姉妹艦の武蔵についてだ
6:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 18:19:40] ID:e9d28d0c
»2»3»4  続き
大和兵装 レイテ沖海戦時
九四式45口径46cm三連装砲3基9門
三年式60口径15,5cm三連装2基6門
八九式40口径12,7cm連装高角砲12基24門
九六式25mm機銃26基26挺
九六式25mm機銃2基4挺
搭載航空機7
5:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 18:14:47] ID:e9d28d0c
»2»3 大和データ
常備俳水量 6万4000t  公試俳水量6万9100t  全長266m  水線間長256m  全幅36,9m  喫水10,4m
缶数 ロ号艦本式重油専燃缶12基  軸数4軸  軸馬力15万  燃料6400t  速力27,46kt  航続力7200海里  装甲水線帯400mm

兵装  竣工時
九四式45口径46cm三連装砲3基6門
三年式60口径15.5cm三連装砲4基12門
八九式40口径12,7cm連装高角砲6基12門
九六式25mm三連装機銃8基24挺
九六式13mm連装機銃2基4挺
搭載航空機7
乗員2500名
4:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 18:03:21] ID:e9d28d0c
»3 続き

大和竣工日 12月16日 戦没4月7日

参加海戦 「ミッドウェー沖海戦」 「マリアナ沖海戦」 「レイテ沖海戦」 「菊一号作戦」

どれも太平洋戦争を通じ、主要海戦であり、その主力艦隊とし指揮を取った

前者三つを語るのは、後に譲るとし、菊一号作戦を大和では、語らねばいけないと思う

1944年、レイテ沖海戦を終え、サイパン、マリアナ、等から、米軍の長距離爆撃機「B-29」が日本各地を爆撃し、本土の被害も甚大
そして4月になると、米軍は沖縄に上陸、本土からは、神風特別攻撃隊(シンプウトクベツコウゲキタイ)が盛んに飛行

そして沖縄に飛んで行く最中、指揮官及び天皇陛下(当時)が「航空隊が特攻して行く中、海軍には動かす船は無いのか?」と言われ、この作戦が始動(但し詳しい理由は不明)

参加艦艇は戦艦「大和」軽巡「矢矧」駆逐「冬月」「涼月」「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「霞」「初霜」の十隻であり、沖縄の海岸に停泊している多数の米海軍艦艇を撃滅

当初米軍は「化物戦艦大和を打ち倒すのは、戦艦でなくてはいけない」とし戦艦群の派遣はしようとしたが、米空軍指揮官マーク・F・ミッチャーが勝手に航空機を飛ばした

大和艦隊には片道分の燃料しか分け与えられてないとされるがこれは間違いで、大和以外の艦は燃料満載、大和も4000t(満載6300t)の燃料を積んで出撃したこれは往復が出来る量である

そして、戦果は戦艦「大和」軽巡「矢矧」駆逐「磯風」「浜風」「朝霜」「霞」沈没  帰還 駆逐「涼月」「冬月」「初霜」「雪風」の四隻である。
3:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 17:38:06] ID:e9d28d0c
大和型戦艦一番艦 大和

言わずもがな、日本が世界に誇る、最強の戦艦大和、今の日本人でも、「大和」と口にすると、大体は理解してくれる、名戦艦(但し宇宙戦艦と考える人も少なくない)

では、何故大和が最強と言われる(言われていた)か?その理解は現在、過去を見ても艦搭載砲として、
46cm主砲を有した船が存在しないからである(但しドイツには、80cm砲の列車砲があるから、陸、海を含むと最強砲ではない)

そして46cm砲を積むと言う事は、それまでの41cm砲を弾く(貫通しない)と言う事になり
計算上41cmSHS弾も耐える装甲を持っている(同じ箇所に何度も受けなければ)

最近は同型戦艦の武蔵が見付かり、現存する、大和型戦艦は、全て見付かり、その46cm砲も現存している結果となった

その歴史について、次は記そう
2:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 17:31:11] ID:e9d28d0c
戦艦の定義について

詳しくない人からしたら、「海軍の保有する船は全部戦艦なんでしょ?」と言うレベルだが、第二次大戦中は定義が一応存在していた。

主砲口径35.6cm以上、自らが搭載する砲耐えうる装甲を有する事、高火力での撃ち合いに耐えうる事

であり、(細部の間違いは許して)一応の定義は決まっていた、そしてこの定義については、ワシントン海軍軍縮条約が存在していた1945年までの定義なので、今の艦艇にも同じ事は言えないので、そこは考慮して欲しい
1:憲兵◆9a9NcvQKeE [15/07/08 17:26:08] ID:e9d28d0c
※注意サレタシ※

このスレは旧日本海軍の第二次大戦中の艦艇について纏めたスレであり、建造時期に振り回されず、ww2に動いてた物をまとめます
たまに小ネタを挟んだり、航空機を入れたりするが、気にすんな。

邪魔は勘弁、50の倍数は、所用に使うので、48、98、等の桁でレスをするのは、やめて欲しいから理解宜しく